
先に結論: 話題になったあのベンチマークで、Appleの新しいオンデバイスSpeechAnalyzerは確かにWhisperを上回りました。LibriSpeech test-cleanで単語誤り率2.12%対3.74%です。ただしそのテストが回したのはWhisper Small、音声は英語の朗読オーディオブック、機材はMacでした。オンデバイスのiPhoneアプリが実際に読み込むWhisper Large V3やLarge V3 Turboは対象外で、会議も訛りも日本語も扱っていません。Appleのエンジンは速く、正確で、しかも無料です。ただしそれは対応する22言語の中での話です。Whisperはその約5倍をカバーします。
以下の数値はすべて、ベンチマーク作成者本人の記事、OpenAIが公開した論文とモデルカード、Open ASR Leaderboard、Appleの開発者ドキュメントから取っています。出典は記事末尾にすべてリンクしました。この記事はLoroNoteチームが2026年8月23日に書いています。LoroNoteは端末上でWhisper Large V3 Turboを動かしているため、この比較に利害関係があります。だからこそ、ここに載せた数値はすべて自社ではなく他者の測定値です。
SpeechAnalyzerとは何か
SpeechAnalyzerは、AppleがWWDC 2025で発表しiOS 26に搭載した音声フレームワークです。10年近くiOSのサードパーティ音声入力を支えてきた旧APIのSFSpeechRecognizerを置き換えます。
公開モジュールのうち重要なのは2つです。
SpeechTranscriber:音声をテキストに変換します。SpeechDetector:音声ストリーム内で発話がある区間を検出します。
処理はすべて端末上で行われます。言語アセットは各アプリが同梱するのではなく、システムのアセットカタログ経由でダウンロードされます。そのため、このAPIを使うアプリはダウンロードサイズがほとんど増えません。SpeechTranscriberが対応しないロケール向けには、DictationTranscriberが代替として用意されています。
多くの比較記事が飛ばしている条件が1つあります。SpeechAnalyzerはiOS 26以降が必須で、下位互換性はありません。 iOS 18のままのiPhoneには、この機能はそもそも存在しません。
引用されたあのベンチマーク
2026年7月に各メディアへ広がった数値は、開発者1人が行った評価から出たものです。実際の測定条件は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| データセット | LibriSpeech、発話5,559件(test-clean 2,620、test-other 2,939) |
| 音声の種類 | 朗読オーディオブック、単一話者、クリーンな録音 |
| 言語 | 英語のみ |
| ハードウェア | M2 Pro、32GB、macOS 26.5.1、すべて端末上で処理 |
| テストしたWhisper | Tiny、Base、Small |
結果は次のとおりです。
| エンジン | test-clean WER | test-other WER |
|---|---|---|
| Apple SpeechAnalyzer | 2.12% | 4.56% |
| Whisper Small(約460MB) | 3.74% | 7.95% |
| Whisper Base(約140MB) | 5.42% | 12.51% |
| Whisper Tiny(約40MB) | 7.88% | 17.04% |
| SFSpeechRecognizer(旧) | 9.02% | 16.25% |
この表について、はっきり書いておくべきことが2つあります。Appleが自社の旧APIを上回った幅は圧倒的で、誤りが約75%減っています。SFSpeechRecognizerの上にアプリを作ってきた開発者にとっては、こちらが本当のニュースです。そしてAppleは、テストされたすべてのWhisperモデルに実際に勝っています。
問題は、どのモデルがテストされたのかです。
ベンチマークが測らなかった3つのこと
1. オンデバイスアプリが実際に動かすWhisperモデル
Whisper Smallは460MBのモデルです。まともな文字起こしアプリが現行のiPhoneに載せるモデルではありません。LoroNoteが動かしているのはLarge V3 Turboで、パラメータ8億900万、速度のためにデコーダを32層から4層へ削ったモデルです。
ベンチマークはMedium、Large、Turboに到達する前で止まっています。参考までに、公開されている別の評価ではWhisper Large V3のLibriSpeech成績はtest-cleanで約2.0〜2.5%、test-otherで約3.9〜4.3%とされています。Appleの2.12%、4.56%と同じ範囲か、わずかに上です。
ただしこの比較は慎重に扱ってください。 いま挙げたWhisperの数値は、それぞれ独自のテキスト正規化を使った別々の評価から出たもので、Appleのエンジンと同じ環境で直接対決した結果ではありません。正規化の方式が違うだけでLibriSpeechのWERは1ポイント以上動きます。その仕組みは単語誤り率(WER)の解説記事で説明しています。誠実な結論は「Whisper Largeが勝つ」ではありません。本来比較すべきWhisperモデルでは、まだ誰もテストしていないということ、そして見出しが示唆した差は選ばれたモデルサイズが生んだものだ、ということです。
2. スタジオ収録のオーディオブックより少しでも難しい音声
LibriSpeechは朗読音声です。1人が、良いマイクで、本を読み上げ、発話は重なりません。はしごの最下段であり、だからこそどのエンジンもここで自己ベストを出します。
実際の録音はもっと上の段にあります。Whisperの精度を整理した記事で見たとおり、クリーンな朗読で2〜3%を出すそのLarge V3が、実際の英語ベンチマークを混ぜると平均7.4%、マイクが遠く話者が重なるAMI会議室音声では16%前後まで上がります。
SpeechAnalyzerについては、この上の段がまだ公開されていません。誰かが測るまで、オーディオブックでの2.12%という数字は、テーブルの中央に置いて録音した4人の会議についてほとんど何も語りません。ベンチマークの作成者もこの点を明言しており、記事ではデータセットを「会議ではなく朗読オーディオブック音声」と説明しています。
3. 残り99言語、そして日本語
作成者自身が直接指摘した点でもあります。あの数値は「Whisperが対応する100以上の言語について何も語らない」というわけです。
2026年8月時点でSpeechTranscriber.supportedLocalesが返すのは、22言語・42ロケールです。
日本語、韓国語、中国語(簡体・繁体・香港)、広東語、英語(地域変種9つ)、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、オランダ語、アラビア語、ヘブライ語、トルコ語、タイ語、ベトナム語、マレー語、デンマーク語、フィンランド語、ノルウェー語(ブークモール)、スウェーデン語です。
Whisper Large V3は約100言語をカバーします。Appleのリストから抜けている言語は、決してマイナーではありません。ヒンディー語、ポーランド語、チェコ語、ギリシャ語、ウクライナ語、インドネシア語がありません。ポルトガル語はpt_BRのみで、ヨーロッパポルトガル語のロケールはありません。
日本語話者にとって重要なのはここです。 ja_JPはAppleが対応する22言語に含まれています。つまり対応の有無は問題ではありません。問題は、日本語の精度について公開された数値が両エンジンとも存在しないことです。話題のベンチマークは英語しか測っておらず、Appleは言語別のWERを公表していません。したがって「AppleのほうがWhisperより日本語に強い」あるいはその逆という主張は、現時点ではどちらも根拠がありません。自分の2分間の録音が、いまのところ最も信頼できる資料です。
Appleは今後も言語を追加すると述べているので、このリストはいずれ古くなります。ただし「対応している」と「同じくらい正確である」が別の話なのは、どちらのエンジンでも変わりません。だからこそ対応言語一覧は、数を信じるより自分の音声で確かめるほうが確実です。
「3倍速い」という数値について
速度の主張も精度と同じくらい広まりましたが、脚注も同じです。Whisper Smallを相手に測った値です。
ベンチマークが報告したのは、M2 Proでの実時間比およそ12倍から40倍というスループットの範囲です。1時間の音声を約1分30秒から5分で処理する速度にあたります。作成者は、アイドル状態での再測定が済むまでモデル別の正確な時間を意図的に伏せています。
この範囲自体は事実で、Appleのエンジンは実際に速いです。ただしこれはRAM 32GBを積んだデスクトップのMシリーズチップでの値であり、スマートフォンでの値ではありません。iPhoneでは、文字起こしモデルの実質的な制約は演算量ではなくメモリです。名の知れた複数の「Whisperアプリ」が、Mac版ではlargeを動かしながらiPhoneでは静かにsmallやmediumを読み込んでいる理由でもあります。お使いのアプリが気になる場合は、各iOSアプリが実際に読み込むモデルをまとめてあります。
どちらがどんなときに向くか
どちらかが全面的に優れているという関係ではありません。目的が違います。
Apple SpeechAnalyzerが向く場合
- 使う言語が対応22言語の中にあるとき、とくに英語のとき
- 端末がiOS 26以降のとき
- 話している最中に結果が更新されるリアルタイム文字起こしが必要なとき。このAPIはもともとそう設計されています
- モデルのダウンロードもコストも不要にしたいとき
Whisper Large V3系が向く場合
- 使う言語がAppleのリスト外のとき、または1つのファイル内で言語が混ざるとき(日本語と英語が行き来する会議など)
- 古い端末でも同じ挙動が必要なとき。Whisper系アプリはiOS 26よりかなり前のバージョンでも動きます
- リアルタイムの発話ではなく既存ファイルを文字起こしするとき。遅延より精度が重要な場面です
- OSのバージョンに関係なく同じ結果がほしいとき
どちらにもただ乗りはありません。Appleのエンジンは導入が容易で、無料で、その守備範囲の中では優秀です。Whisperの守備範囲は約5倍広く、Large系はその広さをモデルサイズと処理時間という実際のコストで支払っています。
iPhoneアプリを選ぶときに変わること
実務的な帰結が2つあります。
第一に、App Storeの「AI文字起こし」は今や少なくとも3つの別物を指します。 Appleのオンデバイス SpeechAnalyzerを呼ぶアプリ、自前のWhisperモデルを端末上で動かすアプリ、音声をサーバーへ送るアプリです。プライバシー、オフライン動作、言語対応がまったく違うのに、アプリ説明にはどれなのかが書かれていないことがほとんどです。iOS音声文字起こしアプリの比較では、音声がどこで処理されるかを基準に整理しました。
第二に、「オンデバイス」という言葉だけでは精度について何も分からなくなりました。 どちらの経路もオンデバイスです。問いは自分の音声はどこへ行くのかからどのモデルを、どのサイズで、どの言語で動かすのかへ移りました。
5分あれば自分で確かめられます
ベンチマークは、自分が決して録音しないデータセットの平均値です。自分の音声こそが、自分の疑問に答える唯一のテストです。
- いつも録音する場所で2分録音します。自分のマイク、自分の話し方、固有名詞と数字と専門用語をいくつか入れます。
- iPhone標準の文字起こしで変換します(対応端末のボイスメモ、またはAppleのエンジンを使うアプリ)。
- 同じファイルをWhisper系アプリで変換します。
- 200語分の区間で誤りを数えます。置き換わった語、抜けた語、なかったはずの語をすべて数えます。誤り数 ÷ 200 が自分のWERです。(何を誤りと数えるかの決め方まで含めた完全な手順は、WERの解説記事にあります。)
どちらもきれいに出るなら、使いやすいほうを選べば十分です。差が出るのはたいてい固有名詞、重なった発話、そして高資源言語以外の場合です。ベンチマークが測定をやめたのが、まさにその地点です。
よくある質問
Apple SpeechAnalyzerはWhisperより正確ですか
クリーンな英語オーディオブックでWhisper Smallと比べるなら、そのとおりです。WER 2.12%対3.74%です。Whisper Large V3やLarge V3 Turboとの直接対決は、まだ公開されていません。別々の評価ではLarge V3が同じデータセットで同等かわずかに上ですが、正規化の方式が異なるため、判定ではなくおおまかな比較として見るべきです。
日本語はどちらが正確ですか
公開された数値がありません。話題のベンチマークは英語しか測っておらず、Appleは言語別WERを発表していません。ja_JPはAppleが対応する22言語に含まれるので、対応自体に問題はありません。ただし精度の比較は、自分の録音2分で確かめるのが現時点で唯一信頼できる方法です。
SpeechAnalyzerはオフラインで動きますか
動きます。処理はすべて端末上で行われ、言語アセットはシステムのアセットカタログから一度ダウンロードされます。この点ではオンデバイスのWhisperアプリと同じです。どちらも音声をサーバーへ送りません。
iOS 26は必須ですか
必須です。SpeechAnalyzerはiOS 26以降を要求し、下位互換性はありません。Whisper系アプリはかなり古いバージョンでも動作し、両方のエンジンを視野に入れておくべき現実的な理由の1つです。
どちらかが話者を判別してくれますか
話者判別は文字起こしとは別の工程で、どちらのエンジンも音声認識の一部としては行いません。アプリがその上に載せる機能です。話者分離の仕組みで、何が必要でどこで崩れるのかを扱っています。
LoroNoteはなぜAppleのエンジンではなくWhisperを使うのですか
言語の広さと端末の広さのためです。LoroNoteは言語が混ざった録音を含めて約100言語を文字起こしし、iOS 26よりかなり前の端末まで対応します。Appleのエンジンは自らの22言語の中では優秀ですが、その広さをそのまま置き換えるものではありません。モデル選定の理由はWhisper Large V3 Turboガイドにまとめました。
出典
- Apple, Bring advanced speech-to-text to your app with SpeechAnalyzer:フレームワークを紹介したWWDC25セッション
- Apple, SpeechTranscriberドキュメント
- Lyonesse, Apple’s New Speech API vs Whisper: The First Real Benchmark:LibriSpeech評価の方法論と作成者が示した限界
- OpenAI, Robust Speech Recognition via Large-Scale Weak Supervision:Whisperの論文
- OpenAI, whisper-large-v3モデルカード、whisper-large-v3-turboモデルカード
- Open ASR Leaderboard:混合ベンチマークおよびAMI会議音声の数値
ベンチマークの数値は2026年8月23日に確認しました。Appleの対応ロケール一覧はOSの更新で変わるため、依拠する前に最新ビルドでSpeechTranscriber.supportedLocalesを確認してください。
